ウーマンラッシュアワーの漫才はなぜあんなにウケるのか

 ウーマンラッシュアワーの漫才はウケる。THE MANZAIでは予選で敗退したがウケの量で言ったら相当な上位であったであろう。また、島田紳助がその漫才を評価したりと、非常に評価が高い。
 その理由は例えば「両方がボケとなっている」という構造であったり、バイトリーダー等のあるあるの着眼点であったりと言われているが、今回はもう少し違う点から考えてみる。
 立川談志や、プレゼンを得意とする経営者などがよく使用する手法として「わざと小さい声で話す」というものがある。わざと小さい声で話すことによって、集中しなくては聞き取れない状況にする。そのため、嫌でも集中してしまう。集中すればするほど相手は大きく感情移入することができるし、深い意味も伝わるようになる。集中を向けた対象が発した意味について、深く考えるようになるからだ。
 エンターテイメントというものは相手の集中度が非常に重要で、例えば、ストーリーに解き明かされない謎を残すのも視聴者の集中状態を保つためである。視聴者がキャラクターに感情移入するという行為は、そのキャラクターに集中していることと同義だ。解き明かされない謎のある物語、キャラクターに感情できた物語、どちらも非常に大きな感動を生む。これは集中がもたらす効果である。
 それはもちろんお笑いにも当てはまることだ。立川談志がその手法を使うということからもそれは明らかである。他にも、漫才でのリズム感よくテンポを付ける手法、ボケを言う前に一瞬ためる手法、歌ネタでメロディに乗せることで退屈を産まない手法、など、どれもが視聴者の集中を誘う手法だ。
 そしてウーマンラッシュアワーの漫才なのだが、実はその手法が非常に有効に使われているのだ。使われている場所というがあのウーマンラッシュアワーの一番の特徴である「早口」の部分である。
 立川談志は「わざと小さい声で話す」ことで「集中しないと聞き取れない」状態にしたのだが、ウーマンラッシュアワーは「わざと異常に早口でしゃべる」ことで「集中しないと聞き取れない」状態にしたのである。それによって、あの早口の部分に異常な集中を強制しているのである。先に述べたとおり、集中というのはエンターテイメントを増幅する作用を持つ。それによって笑いが増幅される。
 ボケの部分というのはもっとも集中して欲しいポイントだ。そこに異常な集中を強制することができているのだから、有利に働くに決まっている。
 さらに、それだけではない。「わざと小さい声で話す」と「わざと異常に早口でしゃべる」で大きく違う所が、時間に対する情報量だ。「わざと異常に早口でしゃべる」手法は、短時間に大量の情報を詰め込むことができるのだ。
 笑いはいかに多くの情報を詰め込むかという勝負でもある。フリをたっぷり効かせてボケるのは、そのフリの内容をボケの内容に込めることで情報量を増やすためであるし、あるあるネタの利点は、みんなが過去に体験したことを思い出させることで、その記憶を情報として詰め込むことにある。情報を増やすことは笑いを増幅するのだ。
 あの圧倒的なスピードでの早口で詰め込める情報量は、他の芸人と比べて確実に多い。そのため、情報量の点でも有利になっている。
 そのため、あの早口でのボケは、大量の情報をものすごいスピードで流しこみ、さらにその大量の情報を異常な集中力で理解させる、という構造になっているのだ
 つまり、「わざと異常に早口でしゃべる」手法は、「集中の強制」「情報量の増幅」という、笑いを増やすのに非常に重要な2点を、同時かつ効率的に実践することができている合理的な手法なのである。