記事まとめ

アメトークの過剰な演技性に感じる、細かいが重要な違和感

「こいつら本当に人見知りなんだろうけど、過剰に空気を読み、滑らかに進めるために動くせいで、人見知りを知ったかぶってる人みたいな動きになるんだろうなあ」という感じだ。

有吉弘行、バナナマン設楽の「テレビ批評芸」と「バラエティのプロレス」

なぜ私は今回の有吉弘行バナナマン設楽の「テレビ批評芸」を取り上げたのかというと、それが「批評芸」の中でとりわけ異質だからだ。では、どこが異質か? ということになる。それは「批評しているのが『お笑い』である」というところだ。「お笑い」の手法で「お笑い」を批評しているのだ。


芸人評論・鳥居みゆき

子供のときにやたら印象に残るもの、本能的に何か頭に残るもの、「人間」の本質の部分(わかってくれるかなこの感じ?)を使用していることが多い。それによって、理論とかじゃなく感覚でおもしろいと思える部分が多々あるのだ。

ラーメンズは純粋な「お笑い」ではない

 すなわち、松本人志千原ジュニアが「お笑い」に対してありったけのナルシズムを向けていたのに対して小林賢太郎は「舞台」「演劇」「芸術」のような方向へナルシズムを発揮してしまっているのだ。


千原ジュニアが生み出した新しい言葉の使い方、「残念」

世間的にも「残念な○○」という言葉が一気に広がりを持った。今までは「残念なお知らせ」ぐらいだったものが、「残念な子」「残念な番組」「残念なことになった」などと広がりを持った。これらが今もあった「残念なお知らせ」と意味の質が違うのは分かるだろうか?

バカリズムとラーメンズは、むしろ正反対の笑いだ

 この両組は、舞台でのコント披露が主であったり、シュールと題されるものであったり、小林と升野が「大喜利猿」というユニットを結成したり、バカリズムのコンビ時代とラーメンズは両方とも「頭脳」と「動き」の二役に分かれていたりと、いろいろとイメージがかぶるところが多いかもしれない。
 では、同じような笑いをやっているかというとそうではない。むしろ真逆の笑いをやっているといって良い。


「好きな音楽は?」に対して一般人に引かれずかつ通には「おっ?」と思わせる回答

「邦楽二組洋楽一組」というバランスで「邦楽ばっかり聞きまくってるやつでもなければ『洋楽聴いてる俺カッコイイ状態』でも無い」という絶妙な位置をアピールできるとともに、


R-1は、「大阪ローカルとか全国深夜番組のワンコーナー的っぽい大会」になった

中途半端な位置の彼らが、「あいつ見る目あるなぁ」と思われるのによいのは何か、となってくるとやはりこの文章の前半でも述べた「センスあって発想力あってひねくれてるから、一部では『オレお笑い分かってるぜ』をアピールするためのマスコットともなっていた」中山巧太に高得点をつける、ということになってくる。「中山巧太に高得点つけるオレ、見る目あるだろ?」である。


相対性理論「ハイファイ新書」は爪を隠さなかった脳ある鷹

「作った人の妙な高いセンスが好き放題やっている中から見え隠れする」というような部分が完全に消え失せた。この作品はリスナーが求めているものを俯瞰し、その要素を的確に組み合わせて生まれた作品といえるだろう。


バカリズムの笑いの本質は「破壊」

元来、松本人志などが主張してきたのは「頭に絵が浮かぶ笑いはレベルが高い」というものだ。これは「ひとりごっつ」のDVDの副音声のコメントなどで言っている。しかし、バカリズムはそれを超えた「頭に絵を浮かべようとしても浮かべようがない笑い」、つまり「想像力を超えた笑い」なのである。


松本人志の映像作品、VISUALBUM評論「VISUALBUMは、落語だ」

これまでお笑いブログをいくつもみてきたが、VISUALBUMについてしっかりとした解説や感想、評論を書いているブログは、あまりみたことがなかった。それは、「下手に書いて、自分の見る目がないと思われるのが怖い」だとか、「そもそも、理解していない」と言う部分が大いにあるのだろう。そこで、このブログで、評論してみようと思う。


太田光の"漫才"論と現在のバラエティ

つまり、「本当に面白いことを言ったか」よりも「MC(ツッコミ)の人に、どう処理されたか」が大事になっている場面が多々あるということだ。


「恐怖」と「笑い」は限りなく近い

ベタ    シュール    ホラー
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音楽通と思われるための5段階の解法(上級編)

また、特に狙いが無い限りは洋楽と邦楽ができるだけ混ざるように書きましょう。そのほうがよりごちゃ混ぜ感を出すことができます。よりごちゃ混ぜ感を出すためには、日本のミュージシャンならできるだけ日本語表記のミュージシャンを選ぶべきかもしれません。


はたして、鳥居みゆきに最も相性の良い芸人は誰だろう?

鳥居みゆきを活かせる条件は、「『すべった』『分け分からないですね』のようなツッコミで、他人のボケをすべり笑いにすることが無い」ということと、「細かいところまで丁寧に拾える能力がある」ということだろう。


しゃべくり007で見せた、有田哲平の空気を作る力

ガレッジセールがネタを終えて以降は、「空気作り」の技術の戦いとなっている。いかに、空気を変にせず、笑いも生みつつ、自分の有利な方向に場を持っていけるか、その技の高度なやり合いだ。


「あるあるネタはレベルが低い笑い」というのは真っ赤な嘘

 その松本人志あるあるネタを用いたストーリー性のあるネタを作っているいうことを強調したいのだ。
 しかも、そのネタというのは松本人志自身が良いネタだと自信を持つネタであり、お笑いファン界隈でも評価の高いネタなのである。それは、VISUALBUMの「古賀」である。


吉本興業の団体芸は、「究極の笑い」へのアプローチである

このように、批判されがちな吉本の団体芸であるが、負の側面だけでなく立派な正の側面も持ち合わせている。これだけでなく、批判されがちなものの大抵に、いや、全てに正の側面はあるだろう。そのようなことを客観的に見て批評することはとても大切である。


バナナマン日村がマジ切れ、「俺は傷ついている」という悲痛な叫び

日村:思いたくもないよ! こんなことになって、敵以外なんでもないじゃんか! こうやって毎回毎回俺は変なことさらされてんだよ。このラジオで! どう思われてんだ! どう思われてんだ、俺が毎回「バナナマンの設楽さん、ブタゴリラさん」とか、あの(メールなどに)書かれてる事実を、お前らはあざけ笑ってるけど、傷ついてないとでも思ってんのかこっちがぁ!


バナナマンのラジオの件について、自分なりに考察する。

だから、「偽者のキレ芸、台本」ではないし、逆に「完全ドキュメント」でもない。ある程度は本気で怒っていたし、またある程度はショーをしていた。そういうことだ。人はすぐヤラセかガチかの二元論で語りたがる。しかし、特にバラエティにおいては、完全なドキュメント、完全なヤラセというのはほとんどない。


大日本人は本当に駄作か? 解説本にも載ってない3つの追求点から、深く冷静に分析する。

静の笑いの場合、そもそもの状況が常に「緊張」寄りである。よって、ご都合主義的にならなければならないほどの緩和を生む必要はなく、リアリティを保ったまま笑いを生むことが出来るのだ。これが、静の笑いとリアリティの相性が良い理由である。


私たちの中にある「理想のM-1」は、終わってしまったのだろうか?
僕たちの中にある「理想のM-1」を、終わらせるわけにはいかない!

笑い飯が来年優勝すること。そして、それによって、たくさんの優等生たちが、「俺たちがM-1をつまらなくしていた」と気づいてくれること。そして、審査員席の彼らが、「審査」のつまらなさに気づいてくれること。それを願っている。

来年、笑い飯が「チンポジ」のようなネタを披露したとき、いや、仮に「鳥人」のようなネタであっても、僕たちは笑い飯の優勝を望まない。優勝トロフィーを手にするべきなのは、もし再出場するのであればパンクブーブーNON STYLE、または流れ星、三拍子、オリエンタルラジオ、この辺りであろうか? そう、僕たちの中にある「理想のM-1」を、終わらせるわけにはいかないのだ! 彼らの努力を、僕たちは買う。


笑い飯の「鳥人」が最高のおもしろさだった2つの理由

このように、「前提が狂っていて、それをちゃんと狂ったものと扱いつつ、さらに狂った現象を乗せる」という、まさに狂った構造となっているのだ。


「レベルの高い笑い」鑑賞講座。お笑い観を変える2つのポイント。

「どの部分のことをレベルが高いと言っているのか」という部分に着目していく。
と、いうことで、この記事は「お笑いを熱心に見ていない人にとっては、気が付きにくい笑いのポイント」について解説していくものとなります。全てのお笑いに応用できます。


2010/01/23現在。