笑い飯「鳥人」、松本人志「トカゲのおっさん」は差別の笑いである

 お笑いと「差別」は、密接なつながりを持つ。本当に多くの、ほとんどといってもいいくらい多くの笑いで、「差別」は出てくる。もちろん、モロ差別丸出しというわけではなく、差別的なニュアンスが出てくる程度だが。
 そんな中で、松本人志「トカゲのおっさん」、笑い飯鳥人」の二つには、特に深く根源的な差別の笑いが隠されているのである。
 笑い飯の「鳥人」について解説をしたことがあるため、まずは鳥人のほうで説明していこうと思う*1
 鳥人の解説記事にネタの序盤が引用してあるため、知らない方はそちらを見て欲しい。鳥人は、子供の前に現れ、「いいもの」をあげようとしたり、人間の体と、鳥の頭の、ちょうど境目を見せてあげようとする。さらに、その子供の学校に転校しようとする。これらの行動は全て、「子供と友達になろうとしている」行動だと、鳥人自ら語っている。鳥人は、子供と友達になりたいのだ。
 しかし、子供はそれを拒絶する。それどころか、現れただけで、気持ち悪がる。鳥人を、完全に差別しているのだ。そして、この「差別」は、他の差別よりもずっと深い差別なのである。
 まず、差別によって笑いが生まれるのは、優越感によるところが大きい。何か対象を差別し、見下す。その安心感から笑いが生まれる。人間は原始から、「狩りが終わったあとの安心感」などから笑いが生まれていたと言われているように、「笑い」と「安心」は密接だ。差別し、見下し、安心し、笑いが生まれる。「笑わせようとしている」笑いよりも「失敗を笑う」笑いの方が笑いがおきやすいのも、後者には差別の笑いの構造があるからだ*2
 そしてその差別から来る優越感というのは、根源的なものであれば根源的なものであるほど大きいものとなる。根源的で覆せないものの方が、より安心できるからだ。そしてその最も根源的な差というのは、「生まれつきの○○」のようなものである。生まれながらに決まっている、覆しようのない、根源的な差。人間は、そこを差別するときが、その覆しようのなさから、最も優越感がくすぐられるのである。そして最も優越感がくすぐられるということは、すなわち最も大きな笑いを生むということである。
 しかし同時に、根源的であればあるほど、そこを差別することに抵抗を覚えやすい。人種、身体的な部分などの、「生まれつき」の部分を差別するとなってくると、そこには「抵抗」どころか嫌悪感を覚える人が大半であろう。そして、その嫌悪感というものは、笑いを大きく妨げる。そのため、結果的には、根源的な差別では笑いは起きにくい。
 しかし、そこで登場するのが「鳥人」や「トカゲのおっさん」である。ここでは鳥人で説明する。
 鳥人は、生まれつき首から上が鳥だ。それは根源的なものだ。そして、その鳥人と対峙した子供は、あっけらかんに差別してみせている。気持ち悪がっている。拒絶している。鳥人は子供に何の危害も加えようとはしていない。しかし、生まれつきの、根源的な見た目の特徴だけで、差別している。
 これによって、人間の根源的な差別心、優越感がくすぐられ、大きな笑いを生みやすい状況となる。では、これだけ根源的な差別なのだから、嫌悪感を覚えるのではないかというところだが、これは、考えるまでもないだろうか。あのネタを見て、「差別に嫌悪感を覚えた」という感想を漏らした人を、一人でも見ただろうか?
 そこが「鳥人」や「トカゲのおっさん」のすごいところで、「根源的な差別」をしているのにもかかわらず、嫌悪感を感じさせないようにになっているのだ。ファンタジー的な架空世界を舞台に設定し、あくまでコミカルに描く。さらに差別する側を「子供」という純粋な存在にすることで、悪意を感じさせなくする。このような工夫によって差別と嫌悪感を切り離すことに成功しているのである。
 これは、「根源的な差別」から、「差別への嫌悪感」を排除し、「圧倒的な安心からの笑い」だけを抽出したということである。「根源的な差別」は差別の中でも最も安心を生む、いわば差別の最上級だ。故に、嫌悪感という最大の欠点があるが、生まれる安心は絶大だ。そこから嫌悪感という欠点を取り除いたため、絶大な安心、イコール絶大な笑いだけが残った、というわけである。
 それと、「鳥人」と「トカゲのおっさん」の共通点、みたいなことはid:osamu-tedukaさんの『笑い飯の「鳥人」が革命的な漫才であった一つの理由』という記事にも書いてあるため、興味のある人は読んでみるといいと思う。

*1:記事を書いている現在、こちらでネタを見れます。http://www.youtube.com/watch?v=Mz9ld-f8-Sw

*2:このあたりは「レベルの高い笑い」鑑賞講座。お笑い観を変える2つのポイント。 という記事と通じる部分がある。