千原ジュニアが生み出した新しい言葉の使い方、「残念」

 芸人、特に質の高い芸人というのは言葉をどう使うかがとても重要になってくる。それは場合によっては小説家やコピーライターといった"いかにも"な職をも超えることさえある。
 たとえば松本人志などはその典型である。「ドM、ドS」「ブルーになる」つまらないという意味での「寒い」「逆切れ」などは松本が作ったといわれている。既存の言葉をうまく使った新たな表現や、言葉を組み合わせた新語、見事である。世間に浸透させるまでにいたっている。こんな事例はなかなかない。
 しかし、千原ジュニアは、その事例をひとつ増やした。それが「残念」である。
 え?と思った方も多いかもしれない。むしろ波田陽区を思い出したかもしれない。新たの表現というのは、あまり気づかれることなく浸透していくものなのである。ちなみに波田陽区の「残念!」とは意味の質が違うのは容易に分かるであろう。
 千原ジュニアはまず人の劣っているところや、変なものに対して「残念」という言葉を使い始めた。たとえば「ごきげんよう」に千原兄弟で出演したとき、他のゲストに背の高い女性がいた。司会の小堺さんがその女性と比べてだいぶ背が低かった。それに対して女性と小堺さんを目線の上下のふり幅を大きく交互に見て「残念ですね」と言う具合だ。
 そしてその言葉は「残念な」という応用もされていき、弟の千原せいじを「残念な兄」と言うようになる。「すべらない話」などでこれが広まることで、世間的にも「残念な○○」という言葉が一気に広がりを持った。今までは「残念なお知らせ」ぐらいだったものが、「残念な子」「残念な番組」「残念なことになった」などと広がりを持った。これらが今もあった「残念なお知らせ」と意味の質が違うのは分かるだろうか?
 もし「残念なお知らせ」を千原ジュニアが使い出した意味で解釈すると、「誰かが何かについてお知らせしているが、噛みまくって文法もめちゃくちゃでひどいことになっている」というようなニュアンスになる。それか「お知らせの内容がめちゃくちゃで意味分からん状態」みたいな感じ。お知らせされた人にとって残念なのではなく、「お知らせ」そのものが残念という意味である。「残念なお知らせ」に限ってはこの意味で使う人はいないだろうけど。
 トップ級の芸人というのはおもしろい表現やその場にぴったりな表現を探し、的確に発言する能力に長けているものである。言葉の新たな意味を浸透させる、というのは芸人としての実力が確かであることを証明している。残念な芸人には出来ない芸当だ。