"KY"を生んだ「ゆとり世代」は「ひな壇芸人の世代」である

 生まれた年によって経験してきたものというのは大きく違ってくる。たとえば青春時代にバブルを体験してきた世代であったり、学生運動に心身をつぎ込んだ世代、エヴァやテクノロックなどが流行し、サブカルと呼ばれるものたちと多く触れてきた世代、もっとさかのぼれば戦争を体験した世代。いろいろある。
 じゃあ、現在高校生や大学生である、1990年前後の人たちはいったい何を体験した世代といえるだろうか?ゆとり世代とも呼ばれる、携帯電話やインターネットの普及に親しんだ最初の世代である。
 この世代について多少のことはウィキペディアに書いてある。

 少年期から携帯電話、インターネットに親しんできた最初の世代で、過剰なほど社交性に重きを置く傾向が強く、親との絆は強くあまり反抗や対抗意識はみられない。

 社交性に重きを置いている場合が多いというのはあながち間違いではないだろう。そして、ここで書かれている携帯電話の普及というのは、やはり他の世代と比べて小さいようで圧倒的な違いであろう。今の高校生は携帯電話がなければやっていけないといってもいい。そして、

 社会が、他者との衝突を避けることが良いとする「やさしさ」を求める状況となっているため、友人等で集まった場合には「楽しむこと」「場の空気の保持」を重視する。そのため、楽しめない要因となるキャラのかぶりを回避しようとし、場の雰囲気を察する能力への要求水準が高いことからKY(空気が読めないことを非難すること。2007年の流行語としてメディアに取り上げられた)といった言葉が生まれていった。

 これである。ここが他の世代と比べてたときの大きい差異である。略語というのはよく使われるから略されるのである。もちろん他の世代でも空気を読むことがある程度は重要であっただろう。しかし、その重要度が爆発的に大きくなった世代なのだ

 なぜそこまで空気が読むことの重要性が上がったのか。携帯電話による相手の真意が見えないコミニケーションによるところと、トーク番組を中心に、アドリブでのバラエティ番組や、ロケを中心とするリアルなバラエティ番組台頭したところに起因する部分が大きいであろう。ここでは後者について深く追求していく。
 1970年代から1990年代前半までのバラエティ番組の推移を見ていくと、ひょうきん族やドリフ、ごっつええ感じなどのコント番組や、元気が出るテレビ電波少年などの、企画、VTR物の量が多い。しかし、それが90年後半や00年代に入るとごっつええ感じスペシャルは数字が取れず、リチャードホールなどの新たなコント番組も長続きしない状況となった。
 転じてめちゃイケを代表とする、ロケを多用する番組が増え、街などに繰り出して笑いを取ることで、芸人と一般人の垣根が低くなった。このあたりで、素人、特に若者が普段の生活の中で芸人のような行動をするようになったのだ。これは悪いことではない。
 そしてそんな中でのロンドンハーツやアメトーク、行列の出来る法律相談所からの、「ひな壇芸人」と呼ばれる芸人たちの誕生だ。最近のお笑い界では、紳助に「売れるためにはフリートークが出来るだけで良い」と言わしめるほどにフリートークの重要性はぐんぐん上がっている。芸人のような行動をとり始めた人々にとって、ひな壇芸人が中心に披露しているフリートークでのテクニックほど実生活に盛り込みやすいものはない。実生活での多人数の会話なんてひな壇でのフリートークみたいなものである。関東でもボケ、ツッコミなどの概念が当たり前に存在するようになり、彼らは「いじる」「すべる」「キャラがかぶる」「ミニコント」などの芸人が生んだ言葉を生活に軽々と取り入れた。
 そうやってどんどんと「その場をそれだけ盛り上げるか」「楽しい空気を作るか」が若者の実生活での会話のキモとなっていき、空気を壊すやつが邪魔になっていった。そこで「空気読めよ」という言葉が誰かの口から発せられる。その言葉は浸透していき、その言葉の頻出度がぐんぐん上がっていき、ついには略されるまでになった。そして生まれたのが"KY"である。

 今までは芸人といえば漫才だった。しかし、今は芸人といえばフリートークだ。そして、今の若者たちはそのフリートークから学び、会話をしている。それによって、今までよりも人を評価する上で、若者たちが友達を選ぶ上で「おもしろいか」の重要性は多少なりとも上がっている。そして会話はどんどん芸人のテクニックを身につけたものとなっている。会話の仕方がトーク番組を踏襲してのものなのだ。そう。若者たちは現在、生態が芸人、特にひな壇芸人に近づいているのだ
 よって、タイトルにもしたようにこの世代は「ひな壇芸人の世代」であるといえる。