相対性理論「ハイファイ新書」は爪を隠さなかった脳ある鷹

 相対性理論の1st、「シフォン主義」は、作った人の妙な高いセンスが好き放題やっている中から見え隠れする、ポップさと遊び心と高い質と中毒性が共存したとてもおもしろいアルバムだった。あれはベースの人が「自分は歌わないから」というようなことで好き勝手にやたらめったらを詰め込み、好き勝手なものをさらにそれを意図など何も分からない人間が歌うというチグハグ感から生まれたといえる。さらに、そのベースの人が高いセンスを持っていたため、その好き勝手の中におもしろさや、リテラシーの高い人を惹きつける何かがあったのだろう。そして彼らは口コミで話題となり、売れた。
 そして2nd「ハイファイ新書」。まず結論から言うと私はこの作品が好きではない。この作品で相対性理論かなり大きくやり方を変えた。音も、歌詞も、ボーカルも、やり方が変わった。
 その中で「歌詞」について着目していこう。
 まずは、1stの「スマトラ警備隊」での歌詞。

やってきた恐竜 街破壊
迎え撃つ私 サイキック
更新世到来 冬長い
朝は弱い私 欠伸をしてたの

太平洋 大西洋 ここ一体何平洋よ
盗んだわたしの記憶をかえして
CIA KGB FBIに共産党の陰謀よ
誰か私を逃して

ここ ここ ここはどこ 宇宙
わたし中央線乗り越して気付いた 明日は始業式
にく にく にく 憎らしいあいつのタイムマシンは
時空間ひとっとびにきのうへ消えてゆく

きみ きみ 君は誰 want you わたし冒険少女
アマゾン帰りの恋するハイティーン
すき すき すき 隙だらけ あいつ発明キッド
欠かさずつけてる秘密のダイアリー

ラブ ラブ ラブずっきゅん ラブずっきゅんだね
君にほらラブずっきゅん

髪の毛サラサラ ストレートくせ毛
わたしはハラハラ デイトレード失敗続きで

触れれば溶けだす チョコレート ふしぎ
明日はドキドキ朝帰り どうなっちゃうんだろう

白亜紀 ジュラ紀 インダス エジプト
地球はまわる まわるよまわる

おー おー OPQRST UVカット

 良いセンスをしているとしか言いようが無い。シュールレアリズムの手法とでもいえばいいのかというような表現。好き勝手のようで作詞者の人格のようなものがなんとなく伝わるような歌詞である。このような歌詞を何も知らないと思われる女の人が歌っているのだからおもしろくなるに決まっている。メロディも良いし。
 そして、次が2nd。

メイドさん ごくろうさん
だんなさん ありがとさん
メイドさん ごくろう算数
だんな算数 ありがと算数

ルネサンスでイー・アル・サン・スー
分母と分子が仲たがい
デカダンスな授業は算数
なんでもいいから四捨五入

セーラー服は戦闘服
クラス対抗のデスマッチ
防災訓練決行で
めったに鳴らないチャイムが鳴るとき

先生 言いたいけど言えないの
悔しいほど切ないの 先生 先生ってば先生
ああ先生 フルネームで呼ばないで 下の名前で呼んで
お願い お願いよ先生

先生 聞きたいことまだあるよ
年下じゃいけないの? 答えて 答えて ねえ先生
先生 卒業式近付いて
サヨナラも言えないで いやだな
わたし まだ女子高生でいたいよ

メガネは顔の一部じゃない
あなたはわたしの全てじゃない
恋するだけが乙女じゃない
素直なだけがいい子じゃない

日々の暮らしに疲れてない?
最近特にマンネリじゃない?
きれいなだけが美人じゃない
やさしさだけじゃ恋はつらい

さわやかサンシャイン
まじめな会社員
あんしん公務員
夜中も見廻り警備員

 大きく変わったところ、たとえば「やたら韻を踏み出した、言葉遊びを多用するようになった」だとか「エロスを漂わせた(これは歌い方にも出た変化)」とか「ストーリー性をある程度持つようになった、分かりやすくなった」というところがあげられる。そしてこれらに共通するのは、「自分勝手ではなく、リスナーに媚びるようになった」というところだ。いや、リスナーに媚びるというよりも「自分を殺して、リスナーに合わせた」といったところであろうか。
 しかし、そのせいで「作った人の妙な高いセンスが好き放題やっている中から見え隠れする」というような部分が完全に消え失せた。この作品はリスナーが求めているものを俯瞰し、その要素を的確に組み合わせて生まれた作品といえるだろう。「言葉遊びのユニークさ、遊び心」、「心情を吐露するのではなくスマートにやってる、というような姿勢」、「中毒性のあるメロディー」これらは結構ディープ目な音楽ファンは割と好きなものであろう。実際私もこれらの要素は好きである。そこに「切ない性的な匂い」を含ませ、さらにニーズに合わせる。作品としてはかなり優秀だ。しかし、この作品は好きにはなれない。それは、なによりも「あざとすぎる」からである。
 1stはかなり「自分の好きなこと」をやっていたに違いない。そこからやり方を買えたのは売れるためでしかないだろう。そしてそのやり方というのがかなり的確なのだ。これなら「自分のことを頭良いと思っていて、ほんとに結構頭良い」くらいの人まで騙せる*1。「あざとさ」に気をつかせない。いや、そういうのが気にならない人もいるのだろうか。少なくとも自分は「こんなのが好きなんだろ?」とか言われている気分になる。いや、やってることは正しいからあざとくてもいいのかもしれないが。これが売れたのも納得だ。
 1stは「頭の良い人間が好き勝手に作った作品」、2ndは「頭のよう人間が頭のよさをフルに使って売れるようにした作品」である。頭で考えて作った作品よりも本能のままに好き勝手にエゴ丸出しでやった作品のほうが好きだ。だから、私は断然1stの方が好きだ。

*1:「お前自分が頭いいって言いたいだけ云々」とかアホすぎるからやめてね