バラエティでの「おもしろいということにする」という手法

 この記事を書いて一つ思い出したことがある。それは、雨上がり決死隊のラジオの有吉と品川が出演して対決するという企画の回でのこと。
 そこでは「有吉にあだ名をつけよう」ということでメールを募集していた。たくさん応募があったのだが、その中で宮迫が特に食いついたのが「片平なぎさが飼っている犬*1」というもの。「うわ〜〜確かに飼ってそうやわ!w」などと言い、盛り上がっていた。そんな中、有吉は「違うだろ…」というような感じで苦笑していた。
 その日のあだ名の優秀賞も、それが選ばれた。
 それを受けて、有吉はこう言った。「別にいいんですけど、これ、ほかの番組とかでは言わないでくださいよ。滑りますから」。
 これは「今このあだ名はこの番組内では面白いということになっているが、ほかのところでは通用しないよ」ということを表している。
 しかも、それに対して宮迫は「分かってるで」と答えた。

 これはすなわち、「今このネタはこの番組内でおもしろいということに『なっている』だけ」ということを分かっていたということ。つまり「これは本当は別におもしろくともなんともない」と認識しつつ、その番組内で表面はおもしろがっていたということだ。ヤラセみたいなもんだ。そうすれば簡単に「おもしろいこと」が作れるからね。
 こういうことって言うのは実はめちゃくちゃ横行している。自分で判断するブレない目を持たない人が多すぎるからこんなことが可能になる。ブレない目を持つことがいかに大切かということだ。


 ちなみに前回も今回も言及したのが雨上がり決死隊であるのは、偶然じゃないです。宮迫はこういうことを一番よくやる芸人です。

*1:だったかな?