笑い飯の「鳥人」が最高のおもしろさだった2つの理由

 Mー1で見せた笑い飯の漫才、「鳥人」。島田紳助が100点を出すほどの漫才。あの漫才は、どこが面白かったのか? どこが他の漫才と違ったのか? その辺りについて分析解説していきたいと思う。
 まず、哲夫の鳥人の説明がある。頭は鳥で胴体が人間、英国紳士のような身なり。それがやってくると。
 ここがちょっと普通の漫才の構造と違う。まず、「鳥人がやってくる」という設定は、常識から外れている。同じ年のM−1の他の漫才の設定は「煮物をおすそ分け」だとか「格闘技の勝利者インタビュー」だとか、設定自体は普通の日常だ。そこが違う。この前提が狂っているという部分がまず注目すべきポイントだ。
 さらに、その鳥人の説明を聞いた西田はこう言う。

西田「そんなもん子供の前に出てきて大丈夫なんか」

 ここで、また普通の漫才とは違う異質な部分が見え隠れしている。このセリフだけではまだ異質とは言い切れないが、ここから「ちょっとやってみようか」ということで、コントに入る。そのとき、見え隠れしていた異質な部分というのが、完全に見える。

西田「お父さん鳥買ってー! お父さん鳥買ってー!」
哲夫「君はいい子だね、僕は鳥人だよ」
西田「…………(怯えた声で怖がりながら)お父さーん! お父さーん!」

 ここで見えた異質な部分というのは、「狂った部分を受け入れていない」という点だ。狂った前提は狂ったものとして扱っている。ここが大きい。鳥人という存在を、しっかりと異形のものとして扱っているのだ。「僕は鳥人だよ」と言われたとき、「わー! 鳥人だー! わーい!」と受け入れ、そこから鳥人がボケていく、という形でなく、「鳥人」という存在そのものをまず一つのボケとしてしまっているのである。すなわち、「設定」がもう一つのボケとして成立しているのである。
 さらに、ここから漫才は「お父さんが鳥を買ってくれないんだね」ということから、こう続く。

哲夫「じゃあ君にいいものをあげよう」
西田「いいもの?」
哲夫「うん、君にこのお父さんには見えないインコをあげようね」
西田「え、じゃあお父さんに内緒で飼えるね」
哲夫「君にも見えないから注意するんだよ」
西田「意味ないやん。なんやこれ」
哲夫「僕にはぼんやりと見えるんだよ」
西田「お前はっきり見えろよ」

 まず、設定が狂っていて、一つのボケになっているのに、さらにそこから新たに狂った現象(ボケ)を乗せていくのだ。そうして、漫才はひずんだ構造となっていく。
 このように、「前提が狂っていて、それをちゃんと狂ったものと扱いつつ、さらに狂った現象を乗せる」という、まさに狂った構造となっているのだ。これがまず鳥人がおもしろかった一つ目の理由である。
 さらにこの「狂った構造」が素晴らしかったのは、その中にポンと「鳥進一」「手羽真一」のような下らないフレーズが入ると、そのくだらなさが非常に光るというところだ。それによって、物凄い相乗効果が生まれていたのである。


 そして、もう一つの理由が、情景が浮かぶ、という点であろう。このことは、オール巨人のブログのM−1の記事で少し触れてあった。

最初の鳥人の説明がゆっくり出来ていたので、情景が思い浮かべ易かったのが、大正解! 其の後のテンポも慌てず良いテンポでしたね、皆さんは鳥人の鳥は、なんの鳥を想像されましたか?

 この通り、あのネタというのは、頭に情景を思い浮かべることが前提となっているネタである。これによって、さらにおもしろさが増していた。が、さらにすごいのが、西田が放った、次のボケである。

人間の体と、鳥の頭の、ちょうど境目を見せてやろう

 このボケというのは、実は情景が浮かびそうで、確固たる情景が浮かばないフレーズである。これは、『バカリズムの笑いの本質は「破壊」』という記事で書いた、「想像力を超えた笑い」に近いものがある。詳しくはその記事を読んで欲しいのだが、触れた部分を引用しておく。

人間の「想像の余地」があるが、確固な想像ができない笑いなのである。元来、松本人志などが主張してきたのは「頭に絵が浮かぶ笑いはレベルが高い」というものだ。これは「ひとりごっつ」のDVDの副音声のコメントなどで言っている。しかし、バカリズムはそれを超えた「頭に絵を浮かべようとしても浮かべようがない笑い」、つまり「想像力を超えた笑い」なのである。この想像力を超えた笑い、というのは、「ミロのヴィーナス」の両腕が取れているからこそ、想像の余地があり、神秘的に美しい、という話とほぼ同じ仕組みであろう。

 この「人間の体と、鳥の頭の、ちょうど境目を見せてやろう」というボケは、引用部ほど「想像できない」ボケではないが、頭に絵が浮かぶと言い切れるほど簡単な情景でもない。そのため、「想像力を超えた笑い」とは言い切ることは出来ないが、それに近いため、引用記事で書いたように、先鋭的なものであると言えよう。これらが鳥人がおもしろかった二つ目の理由である。


 「狂った構造であること」、「想像力を使った笑い、また、想像力を超えた笑いであること」。この二つが、笑い飯の「鳥人」が最高のおもしろさだった理由である。