「レベルの高い笑い」鑑賞講座。お笑い観を変える2つのポイント。

 お笑いファン(の一部)の間では、「あの笑いは世間には分からない」「レベルが高い」のようなことがやり取りされていることがある。ほとんど単なる選民意識だとかそういうものなのだが、そういう妙な部分は置いておいて、彼らが一体なにをもって「レベルが高い」としているのか? そこを考えていこうと思う。もちろん、絶対的なレベルの高さなんてものは存在しないわけなので、「なぜレベルが高いのか」ではなく、「どの部分のことをレベルが高いと言っているのか」という部分に着目していく。
 と、いうことで、この記事は「お笑いを熱心に見ていない人にとっては、気が付きにくい笑いのポイント」について解説していくものとなります。全てのお笑いに応用できます。

「気持ちを察する」

 まず筆頭として上げられるのが、気持ちを察する笑いである。これは、簡単に言えば、「ああ、こいつ今こんな気持ちなんだろうなあ」と言うことを考え、その気持ちを察することで笑いになるというものだ。
 例えば、かなり昔のリンカーンの企画の、「さまぁ〜ず大竹の誕生日をUSJで大々的にパーレドをして祝う」というもの。大竹はパレードのでかい車の先頭に乗せられ、オリジナル誕生日ソングが流れる中、パレードをしてもらうという状態だ。これの一番分かりやすい笑いどころは、「誕生日だからって大々的にやりすぎだろ!」ってところや、「大竹の表情」である。しかし、これに「気持ちを察する笑い」という鑑賞のポイントを用いるとどうなるか。
 それによって生まれる笑いどころは、「大竹、こんなにすげえ祝われて、うれしいっちゃうれしいけど、ここまでしてもらうことじゃないし、恥ずかしい感じもあるだろうに。しかも、こんな大勢が見てる中を連れまわされて……、微妙な心持ちなんだろうなあ」これを察することによって生まれる部分である。
 この視点を入れただけで、「豪華すぎる」という単純な笑いどころだけだったのに、一気に複雑かつどこか深みのある笑いどころが生まれる。表情だけの笑いよりもずっと深読みできるものだ。さらにその表情だけでなく、ちょっとした挙動などまでが、さらにいちいちおもしろく感じてくる。
 向こうから笑わせに来ている笑いよりも、自分が考えて見つけた部分というのは、非常に大きな笑いになりやすい。その辺のおっさんが変な動きをしていたら笑えるが、その動きと全く同じ動きを、芸人がギャグでやっていても笑えないのと同じだ。「気持ちを察する笑い」は、自分が考えて見つける笑いであるため、笑いの質が上がるのだ。
 この「気持ちを察する笑い」というのは活用する機会が多く、これを常にやっているかいないかで、お笑い作品を見る際の笑いどころがとんでもなく大きく変わってくる。「お笑いファン」の仲間入りをするに必須であるといってもいいであろう。

「バカだなあ」

 これは、実は上記の「気持ちを察する」の派生系といってもいい視点なのだが、独立させてしまってもいいほどに活用される機会が多いため、独立したものと扱う。
 この「バカだなあ」の笑いというのは、「こいつらバカだなあ」「こいつらアホや」と思うことで、笑いになるというものだ。同時に、「楽しいんだろうなあ」という気持ちを察するということでもある。ちなみに、ここでいう「バカだなあ」とは、いい意味でです。
 例えばこれは、笑い飯の漫才「ハッピーバースデー」などが分かりやすい例だろうか。「ハッピバースデーディアプレジデント……」から次の「ハッピバースデー」へのタイミングが合わないから、二人で研究したり。最後の「ハッピーバースデートゥーユー」の「ユー」の部分の音階をかっこいい感じに上げて、「なんやそれずるい」みたいなやり取りをしたり。最終的にマリリンモンローの真似をして歌いたい、とかなっていって、最後には二人でマリリンモンローの真似をしながらハモる。そんなネタだ。
 これの分かりやすい笑いどころは、タイミングが合わないというあるあるネタだったり、単純に「音程をかっこつけて上げる」というボケだったり、マリリンモンローのモノマネのコミカルさといったところであろう。ここに、「バカだなあ」の笑いの鑑賞のポイントを用いる。
 すると、「なにを大の大人がくだらないことを真剣にやってんだよw」とか、「こいつら楽しそうだなあ」みたいな部分から「バカだなあ」という視点に繋がり、笑いが生まれる。笑いが生まれるのは、芸人側の「笑わせてやろう感」が無くなり、非常に笑いやすい状態になることに起因するものと思われる。
 「バカだなあ」の笑いは、「気持ちを察する笑い」の中に含まれていることから分かるように、同じく「自分が考えて見つける笑い」である。よって、非常に笑いやすい。受け入れ態勢が出来やすい。その受け入れ態勢が出来た中に、「音程をかっこつけて上げる」というボケ、みたいな物が入ってくると、それも「自分が考えて見つける笑い」くらいの感じで受け取ってしまうのだ。それにより、笑いの大きさが跳ね上がる。
 この視点も非常に活用する機会が多く、特にコントを鑑賞する際は、この視点はかなり重要なものとなってくる。特に、芸人はこの「バカだなあ」の笑いが好きな割合が高いようで、バッファロー吾郎などが芸人人気が高いのは、彼らが「バカだなあ」の笑いを多く用いることが大きく関係していると考えている。

まとめ

 と、このように絶対的にレベルの高い笑いなんて言うのは存在しなかったけれど、ある基準で深みのある笑い、視点というのは存在しているのだ。今回紹介した二つというのは、お笑いを見るうえで、これを知っていると知らないとでは、天と地ほど差が出るといってもいいほどに重要な視点だ。
 また、この二つの視点を知っていた人でも、「なぜこの視点だと笑いが増えるのか?」という部分への考察もあったため、その部分に関しては楽しめたのではないかと思う。
 このように、お笑いにはいろいろな視点があり、それによってガラリと印象が変わってくるのである。このようないろいろな視点を持つだけで、お笑いだけでなく、日常の見え方も変わってくる。こういうところも、お笑いはおもしろい。