バカリズムとラーメンズは、むしろ正反対の笑いだ

 この両組は、舞台でのコント披露が主であったり、シュールと題されるものであったり、小林と升野が「大喜利猿」というユニットを結成したり、バカリズムのコンビ時代とラーメンズは両方とも「頭脳」と「動き」の二役に分かれていたりと、いろいろとイメージがかぶるところが多いかもしれない。
 では、同じような笑いをやっているかというとそうではない。むしろ真逆の笑いをやっているといって良い。
 この二組の一番大きな違いは「設定の重要度」である。ラーメンズのコントというのは、基本的に設定はそこまで重要ではない。もっとも有名な「日本語学校」も、設定としては「日本語を教える学校として、先生が言ったことを生徒が復唱する」だけである。そこから小林がどうやって組み立てていくかというところが重要なのである。料理で言えば小林は、安い素材でもその味付けでおいしくしてしまう味付けの名手、といった具合である。もちろん数多くのネタの中には例外はある。
 では、バカリズムはどうか。バカリズムのコントの多くは設定の時点でおもしろいことが多いのだ。このエントリーで紹介した「野球官能小説」。これは直接的なエロワードを全て野球の言葉に変えて言うという設定でまずもうおもしろいことが確定しているようなものである。「贈るほどでもない言葉」もそうであるし、「探偵が関係者を集めて『犯人はこの中にいます。その犯人とは…』と言い、その後に『あれ、今日熊谷さん来てる?』と気づく」という設定の「熊谷さん」などもまず設定が秀逸だ。さらに、それをある程度うまく料理する術も持っている。小林と同じように料理にたとえると、高級な素材を的確に料理することの出来る名料理人といった具合である。同じく例外はある。
 要は、「味付け」のラーメンズ、「素材」のバカリズム、といった感じである。似てるようで真逆なのだ。
 そして、ここまでの文を読めば分かるだろうが、バカリズムのタイプの笑いのほうが優れているであろうと私は思う。秀逸な設定を考える才能はやはり努力で身につくものではない。組み立てる構成力などといったものは、後天的にかなりのレベルまでは身につく。だが、小林レベルとまで行くと一種の才能であるともいえる。とはいってもかなりのレベルまでは後天的に身につくため、圧倒的な差はつけられない。また、一発一発の衝撃は明らかに秀逸な設定での笑いのほうが大きい。
 秀逸な設定を思いつける芸人が、努力して構成力も身につけてしまったらラーメンズは総合力では決して勝てないのである。
 しかし、好き嫌いの問題で「構成力」を最重視する人もいる。そういった人たちを固定ファンとし、ほぼ内輪のような舞台のみの活動に的を絞っているラーメンズのやり方は実にラーメンズに合っていて、構成力のある小林らしいといえよう。
 だが、お笑いの世界で本当に評価されるべきなのは後天的に身につけることの出来ないような才能、感性を持った、「良い素材」を使った笑いをやっているバカリズムのような人たちであると私は主張したい。