なぜAV女優があんなにも才能に溢れているかについての考察

 ゴッドタンDVDから得た着想その一です。
 AV女優の中には、とんでもない才能を持っている人たちがいる。キス我慢選手権でのみひろや、おねだりマスカットでのRio*1など、彼女らの才能はとんでもない。キス我慢でのみひろは、涙を出そうとしてから5秒も経たずに涙を実際に流したり、あの、松本人志をもって「表現力がすごい」と言わしめた劇団ひとりと、アドリブのセリフ合戦という、ほぼアドリブ大喜利の戦いでまともにやりあうなど、とんでもない演技力と発想力を持っている。Rioは、おぎやはぎに「笑いを探知する嗅覚がすごい」「なんでいきなりあそこまで出来るのか分からない」「ああいうのを天才って言うんだろうな」とまで言われる才能の持ち主だ。このように、なぜかAV女優は、妙な才能がある人間が多い。
 それはなぜなんだろう? と考えてみることにした。
 まず最初によく言われるのが、「AV女優という仕事をやっていると、異質な空間におかれることが多いため、自然と異質な感性が育つ」というもの。これも確かに一理ある。仕事上、精神的に、物凄く自分を解放する、もしくは逆に、物凄く分厚い仮面をかぶる、のどちらかになりやすいであろう。これは芸人と近いものがある。確かに才能を育てそうなものではある。
 しかし、それだと、AV女優の中には全く異質な才能を感じない人間というのもたくさんおり、もしも、AV女優という仕事が才能を育てるのならば、そのような凡才を感じさせる人間がたくさんいるのが妙だと感じることになる。
 では、次に考えられるのはなにか、というと、「AV女優になろう、という発想がある時点で、発想や感性が異質である」という考え方だ。これも一理ある。が、これもまた、AV女優の中には全く異質な才能を感じない人間というのもたくさんいることから、これを結論とするのには違和感が残る。


 では、一体ほかに考えられる理由はなにか、と考えていくと、「異質な才能を持ったAV女優の共通点」を探すのが手っ取り早いことに気がついた。
 みひろ、Rio。他にも長澤つぐみ吉沢明歩などもなかなかの才能だ。では、彼女らに共通する点とは一体なにか、と考えると、意外と容易にそれは解決する。顔が整っていることだ。
 そして、そこから考えを深めていくと、なかなか納得できる答えが得られた。
 上に挙げた彼女らは、かなりのルックスの持ち主だ。特に、最初にあげた二名。この二人は、客観的な、「左右対称か否か」や「目が二重か」「鼻筋が通っているか」「輪郭のラインが綺麗か」などの、できるだけ好みを除いた指標においても、かなりの点数をたたき出す、いわば「客観的に整った顔」である。これだけのルックスを持っていれば、アイドルや女優としても人気が出たであろう。実際、その辺のアイドルで、この二人に勝てるルックスを持つ人間はなかなかいない。そのレベルだ。
 そのような道に進んでいれば、回りにちやほやされ、私生活も充実し、金銭面も不自由ない、そんな生活が送れたであろうルックスだ。そして、おそらくここに答えがある。「そのレベルのルックスにあるのにもかかわらず、『AV女優になる』という選択肢を選ぶ」という発想。これは圧倒的に異質だ。
 「回りにちやほやされ、私生活も充実し、金銭面も不自由ない生活」と「AV女優」の二つの選択をするとき、「AV女優」を選ぶ。この感性。この発想。常軌を逸しているのだ。
 もしもあなたが「芸能界で世間的に正当な道で、成功を収める」という道と「AV女優として成功を収める」という道の二つを迫られたとき、果たして後者の選択が出来るであろうか?
 つまり、AV女優*2があんなにも才能に溢れている理由は、「女優やアイドルの道を選べば世間的に華々しい成功を得られていたであろう」にもかかわらず、「AV女優をいう道を選ぶ」というような、圧倒的に異質な発想と感性を持っているから、というところなのである。

*1:みひろも

*2:の一部、ということになるが