お笑い自然主義とお笑いロマン主義の融合

「おぎやはぎ」とは何者か | サンキュータツオ教授の優雅な生活
 上記の記事は、おぎやはぎを絶賛している記事であり、おぎやはぎのラジオを毎週聴いていて、過去放送分もすべてインターネットの力で聞いた私としては、非常に同意でき、また、非常に内容も面白い記事なのだが、その中で軽く触れられている、「お笑い自然主義」と「お笑いロマン主義」という分け方、これが非常に汎用性がある分け方であり、今回はそれを用いてひとつ論じてみたいと思うので、まずはそれを引用しようと思う。

変な人が変なことをやったとき、「なんでだよ!」とツッコむのが、「お笑いワールド」の常套手段、お笑いロマン主義である。
しかし、実際の生活ではなかなかそういう「お約束」が通用しない。
変な人が変なことをやったときは、頭を叩いてつっこめない。提案したり、距離をとる。それが「お笑い自然主義」。
仲良い友達同士がしゃべってたら、普通のツーンでつっこむし、「もう少しこうしたら?」と提案する。
これは「シュール」ではない。辻褄があってるのだから自然主義だ。

 つまり、現実の世界でありそうな展開かそうでないか、ということ。実際の生活の中で、「なんでだよ!」と頭をたたき、突っ込むのは不自然だ。でも、その不自然なことを、コメディとしてのわかりやすさなどを生むために行う。これがお笑いロマン主義
 逆に、実際の生活で行っても自然な行動をとる、つまり、戸惑ったり、提案したり、距離をとったりする。これが、お笑い自然主義
 上記の記事では「ツッコミ」に着目して書かれているが、これはボケにも当てはまる。たとえば、ガッツリと間を取って変な動きをしながら声を張ってめちゃめちゃなことを言う、などがお笑いロマン主義のボケである。
 逆に、普通のテンションで、会話の中で、本人は面白いことをしているつもりじゃなく、気を使いすぎているだけだけど変な言動、などがお笑い自然主義のボケである。
 ツッコミの場合とボケの場合を分けて書いたが、実際のところ、ツッコミが自然主義だった場合、ボケも自然主義であることが多い。ロマン主義の場合も同様だ。やはり、自然主義同士、ロマン主義同士が一見馴染むのであろう。
 そんな中、お笑い自然主義とお笑いロマン主義のボケとツッコミを組み合わせてコントをした芸人たちがいる。 それというのが、前回更新した記事、「バナナマン日村の演技が、なぜ役者の演技をも上回るのか」でチラリと触れた、「ドリームマッチ2010」の「日村・原西ペア」の披露したコントなのである。 原西はいわゆる「ボケ然としたボケ」である。上でも例として書いた「ガッツリと間を取って変な動きをしながら声を張ってめちゃめちゃなことを言う」というのにぴったりと当てはまる、まさにお笑いロマン主義のボケだ。
 逆に、日村は「バナナマン日村の演技が、なぜ役者の演技をも上回るのか」を読んでもらえればわかるとおり、コントの中で、「会話」をしている*1。リアルな「語気の荒い人」の演技である。つまり、これはまさにお笑い自然主義なのだ。
 そしてそれによって出来上がったコントには、妙な味がある。お笑い自然主義でもお笑いロマン主義でもない、チグハグなような、または絶妙なような、そんな独特の雰囲気をたたえている。特番の中の一つでしかなかったコントだが、実はこんな面白みのあるものだったのである。

*1:序盤でセリフっぽい瞬間もあるが