シュールとはなにか? 本当にシュルレアリスムとは異なるのか?

 お笑い語りでよく使われる言葉に「シュール」がある。その語源は芸術用語の「シュルレアリスム」であるが、今となっては語源とは違う意味で使われている。まずは、そのあたりをWikipediaの「シュルレアリスム」の項目を参考に解説する。シュルレアリスムは超現実主義という意味である。そしてその超現実とは「現実を超越した非現実」という意味ではなく、「過剰なまでに現実」というような意味である。それに対して「シュール」は、「やや難解でアーティスティックである」「常識を外れて奇妙である」「既存の状態を超越している」「少し変な」というくらいの意味で使われることが多い*1
 と、この、シュールとシュルレアリスムは語源で繋がっているが、実は違う意味で使われている、というところまでは知っていた人も多いのではないかと思う。では、シュールとは何か、というところを探ってみたいと思う。
 まず、『写実と「シュール」 - eigokunの手記 - subtech』という記事を参考にしたい。マンガと絡めてお笑いを論じているのだが、お笑いの部分のみを資料として抽出したいと思う。

 ところで最近読んだブログで「おぎやはぎの漫才は自然主義だ」というのを見て、とてもなるほどと思ったんだけど、つまりあれは、実際に人間が生活の中で行う行動のような面白さがある、ということなんだけど、それによって僕は「シュール」になると思っている。
(略)
 似たように「シュール」な人は、初期のふかわりょうが居る。あれは、あるあるネタにより「シュール」を生み出している。あるあるネタは、言うまでもなく日常の生活の中からネタを得るものであり、これも、おぎやはぎと一応共通した部分がある。

 日常の生活を写実することでシュールを生み出せるのではないかという論。納得できる部分も多いため、まずはこの論をスタートに考えていく。普通の漫才やギャグの手法と比べて、日常の写実の方がよりシュールを生み出せる。ここまでは誰も異論はないのではないかと思う。たとえば、ふかわりょうのネタ「小心者克服講座」が、腰に手を当てて横揺れしながら、合間合間でFUJIWARA原西のギャグのようなものをやる、というものであった場合、シュールではなくなる。これは、普通のギャグの手法がシュールに向いていないからであり、相対的に日常の写実がシュールに向いているからだといえる。
 ここから考えていきたいのは、日常の写実よりも強くシュールを感じさせる手法はないのだろうか、ということだ。まず思いつくのが「意味不明なことを言う」というパターン。例はなんでも良いのだが、上と同じくふかわりょうのネタ「小心者克服講座」でたとえる。腰に手を当てて横揺れしながら、「パイナップルに温度計を刺したら、48度だったよ」とかそんな意味不明な事を言うネタだったとき。原型である「あるあるネタを言う」という形式よりもシュールを生み出せているのではないだろうか*2。おもしろいか、笑えるかは別として、だ。
 ここから導き出せる結論は、FUJIWARA原西的なコミカルなボケよりも、あるあるネタや日常の写実のほうがシュールに向いており、さらに、日常の写実よりも、意味不明なことのほうがシュールに向いている、ということだ。

 この図である。右に行くほどシュールという按配だ。ここで一つ気がつくのが、シュールとシュルレアリスムの関わりだ。シュルレアリスムとは、「過剰なまでに現実」というような意味だ。そして、この上の図だと、「コミカル」よりも現実に近づけると「日常の写実」となり、さらに同じベクトルに進めると「意味不明」となる。「コミカル」から、現実を超えてさらに進むとよりシュールになるのである。すなわち、「コミカル」を始点としたとき、「意味不明」は現実を超えた現実、つまり「過剰なまでに現実」とも言えるのである。
 こう考えていくと、実は、シュールという言葉は、シュルレアリスムとほぼ同じ仕組みで成り立っているといえるのだ。
 とはいえ、シュール=シュルレエル*3なのか? と考えると違和感が残る。シュルレレアリスムは、日常の写実や多少の意味不明さよりももっとわけのわからないものであるという印象が強いからだ。
 そこで、一つ過去の記事を参照したいと思う。『「恐怖」と「笑い」は限りなく近い』という記事だ。ここにはこんな図が文字で記してある。

ベタ    シュール    ホラー
 ←――――――――――――→

 ベタからシュールへのベクトルでさらに突き詰めるとホラーになる、という話だが、この文字の図を上のコミカル〜意味不明を表した図と合わせてみる。するとこうなる。

 コミカルにいくと雰囲気としてはベタになる。そこから日常の写実をしていくとシュールになっていき、日常を通り過ぎ、「過剰なまでに日常(現実)」=意味不明な領域に入ると、さらにシュールになっていく。そして、その先にはホラーという領域がある。これは、さらに過剰に現実な表現をしたとき、ホラーとなるのであろう。シュールよりもさらに過剰に現実だとホラーということは、さっきの問題点「シュルレレアリスムは、日常の写実や多少の意味不明さよりももっとわけのわからないものであるという印象が強いため、シュール=シュルレエルだと違和感が残る」の解決へ繋がる。シュール=シュルレエルなのではなく、ホラー=シュルレエルと考えれば良いのだ。シュールよりもわけがわからないという印象が強いのだから、シュールの先にあるホラーと結びつければ良い、というわけだ。
 それらを踏まえて、図を書き換えるとこうなる。

 こうすれば、つじつまが合う。この図が、シュールとシュルレアリスム(シュルレエル)の関係だ。今までは「シュールとシュルレアリスムは別物」というのが一般的な論であったが、実は、シュールとはベタとシュルレエリスムの中間の概念であるといえるのである。
 シュールという言葉を違う意味で使っている人もいるとは思うが、せっかく語源で繋がっていて、響きが似ているのだ。こちらのほうがすっきりするのではなかろうか。

*1:そしてここでは、「シュール」という言葉を、「使われることが多い」意味で使っていくこととする。

*2:いや、原型のほうがシュールだ! と思う人もいるかもしれない。今回考察する「シュール」とは少し違う意味で「シュール」という言葉を使っていた、聞いていた人なのであろう。最後にそのあたりにも言及するので、そう思った人も最後まで読んで欲しい

*3:シュルレアリスムからismをとった形。「超現実主義」から「主義」をとった形。