僕たちの中にある「理想のM-1」を、終わらせるわけにはいかない!

私たちの中にある「理想のM-1」は、終わってしまったのだろうか?
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 M-1という大会は、あくまでコンテストなのである。ますだおかだの優勝、そこから既に「M-1=努力の大会」という審査基準が存在していたのだ。
 確かに笑い飯はおもしろい。南海キャンディーズもおもしろい。しかし、M-1で優勝するべきは、やはりパンクブーブーなのだ。ハリセンボンが噛んだら、個人的におもしろくても噛んだということで大幅に減点しなくてはならないし、誰かの漫才で一度も笑えなくて、早く終わらないかなあと思っていても、技術力が高かったならば高得点をつけなければならない。それがコンテストにおける正当な「審査」だ。それこそが正しいのだ。
 「反・審査」であった松本人志が「審査」をしている。「反・審査」であった大竹まことが今年は審査員を辞退した。これが、M-1の歩む道であり、正しい姿なのだ。松本人志は、まだ少し揺れているように見えるが、「審査」の側にとどまるべきなのだ。
 僕たちは去年末から今年にかけての、NON STYLEが受けた仕打ちを忘れてはならない。彼らの漫才は完璧だった。井上の圧倒的に流暢な喋り。石田の最高にコミカルなボケ。そして素晴らしい構成美。太ももを叩きながらのボケという、全く新しいシステム。そしてそれによる溢れるほどの手数。彼らは文句の付けようの漫才をやってのけた。そして、優勝した。彼らは嬉しさで、人知れず涙を流したであろう。
 しかし、彼らは叩かれた。ボコボコになるまで叩かれた。「オードリーの方がおもしろい」、そう言われ続けた。それだけではない。売れなかった。売ってもらえなかったというほうが正しいであろうか? 彼らは悔しさで、人知れず涙を流したであろう。
 そして彼らは今年、その悔しさを糧に、圧倒的な量の努力を積み、M-1に備えた。彼らが受けた屈辱を思えば、その努力の量は、推して計れるであろう。皮肉なことに、練習できるほどの時間はあったのだ。そして彼らは、敗者復活という形で、見事決勝へと返り咲いた。
 しかし、その圧倒的な努力をも上回る努力をしていたコンビがいた。パンクブーブーである。彼らは今年、NON STYLEをも上回る、圧倒的に流暢な喋り、最高にコミカルなボケ、そして素晴らしい構成美を見せ付けた。彼らが最終決戦で見せた漫才は、まさに、これぞまさに「完璧」であった。あのNON STYLEをも上回る努力をしてきたのだ。彼らの手には、きっと血が滲んでいた。そして彼らは見事優勝トロフィーを手にした。決勝進出が決定したときに流した涙より、ずっと濃い涙を、彼らは人知れず流したであろう。これは素晴らしいことだ。
 来年、笑い飯が「チンポジ」のようなネタを披露したとき、いや、仮に「鳥人」のようなネタであっても、僕たちは笑い飯の優勝を望まない。優勝トロフィーを手にするべきなのは、もし再出場するのであればパンクブーブーNON STYLE、または流れ星、三拍子、オリエンタルラジオ、この辺りであろうか? そう、僕たちの中にある「理想のM-1」を、終わらせるわけにはいかないのだ! 彼らの努力を、僕たちは買う。
 優勝トロフィーは、努力の対価として流れた涙と滲んだ血を吸って、初めて真の輝きが灯るのだ。